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私が六歳の頃、父は亡命した。下級貴族だった父は世の中の不公平を嘆き、共和 主義に身の置き所を見い出したのだ。いや、それは美化し過ぎた表現だろう。実 のところは、いくら金を稼いでも、子爵家の令嬢を妻にしても、下級貴族である 限りは爵位を持つような貴族から蔑まれる社会から逃げ出したかっただけなのだ。

ことさらに蔑まれたのは下級貴族だからではなく、金を稼ぎ、子爵家から妻を迎 えたからだということに気がつかなかった父は、自由惑星同盟が理想郷ではない ことにも気づくことはなかった。少なくとも亡命するまでは。父の才覚があれば フェザーンにでも行けばよかったのにと私は後に思ったのだが、それを伝える術 は既に無かった。

そんな父でも、妻子を巻き添えにすることは本意ではなかったらしい。亡命の前 日の消印で離縁状が届いたそうだ。そのおかげで母が共和主義者であるという容 疑は保留された。母は共和主義などに興味は無かったし、自分の夫が興味を持っ てることなど知るよしもなかったのだが、それを証明することは難しく、憲兵が 亡命者の妻を疑うのは当然のことだ。父の離縁状が無ければ問答無用で拘留され ていたところだ。

父と離縁した母は旧姓に戻り、子爵家を継ぐことになった。私は父の姓を捨て、 母の姓---マイセンを名乗ることになった。


つづく