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「全く、障碍者には生き難い社会だ」

パウル・フォン・オーベルシュタインはつぶやいた。彼は三度目の義眼移植手術 が終って、夏休みを利用して別荘でリハビリをしているのだ。彼は一度目の手術 を覚えていない。それは彼が一歳の頃のことだそうだ。二度目は幼年学校に入る 前。三度目がこの夏、幼年学校での最期の夏だった。

医師の話によると、今回入れた義眼は大人になっても使えるため、ありがたいこ とに当分手術しなくてもよいそうだ。20年もすれば調子が悪くなるが、適切な整 備をすれば視力には影響がないという。

パウルの目が悪いのは、実は先天性の異常なのだが、表向きは出産時の事故とい うことになっている。彼の父から医師に多額の金が流れた結果だ。パウルにして みれば、生まれた時から嘘を背負わされたということで、はなはだ迷惑な話なの だが、そうでもしなければまともに生きていけないことも理解出来る。生まれた 時に「処分」されなかっただけでも、まだましなのだ。つまりは、そういう社会 なのだった。

たとえ事故だということにしても、この社会は障碍者にきびしい。父に幼い頃か ら聞かされていたように、軍人にでもならなければ出世の望みは無い。だから彼 は幼年学校に通うことになり、士官学校へ進学することが望まれている。

「人殺しのプロになるよりもまともなことをしたいものだ」

そう思わないでもなかった。もともとパウルは医師になりたかったのだ。彼の目 の手術をした医師は、金には汚ないが腕は一流だし、パウルの「嘘」の共犯者で あるにしても恩人であることには変わりがない。パウルが最も尊敬する者の一人 であった。

しかし、パウルが医師になったとしても、この社会では義眼の医師に診てもらお うとする者はほとんどいない。たとえそれが肉眼よりも性能の良い義眼であった としても。如何に理不尽であろうとも、それがパウルを取り巻く現実であった。

「どうせ軍人になるのなら……」

誰にも言えない暗い野望を持ち始めたのは最近のことだった。


つづく