問題を解こうとするときには, 何よりもまずそれを入念に分析しなくてはなら ない.フリチョフ・ハフト「レトリック流交渉術」
最後に話すことは, 伝えるべき問題自体の構造である. これは, 文章の構造以 前に考えなければならないことである.
このテーマを考察する上で参考になるものに, 「いかにして問題を解くか」 [1][2]と, 「レトリック流交渉術」[3][4]が挙げられる.
前者は, 数学の問題の解き方を解説したものである. 多くの問題に対して, 効 率的な基本戦術を与える. 同書の裏表紙に,
というリストがあり, それぞれについて, もう少し詳しい解説がある.[2]
後者は, 交渉術の本であるが, 問題の理解や問題への取組み方にとっても, 非 常に参考になる. 問題に対する戦略的視点を与えると言ってよい.
与えられた問題を論ずるだけなら, 前述した戦術だけで充分な場合が多い. し かし, 自分で問題を創り出さなくてはならない場合も, ままある. そのような 場合には, 戦略的視点が必要である.
同書では, 「構造的思考」を基本戦略に, 「問題本位型思考」と「妥協的思考」 を補助戦略に取っている.
「構造的思考」は, 問題を次の4つの階層に構造化する.
下位の概念より上位の概念の方が重要である. 例えば, 問題のテーマを曖昧に したままで, 個別論拠を論じるのは, 全くの無駄である.
ここで, 個別論拠の重要性が意外に低いことに気づく. 考えてみると, 当たり 前である. 重要なのは, 事実や主張それ自体である. 論拠は, それを支えるも のではあるが, 主役ではない. このことを忘れると, 論拠ばかりを述べて主張 を伝え損ねるという, 間抜けな事態に陥る.
問題本位型思考とは, 人物の件と懸案の問題とを区別し, 懸案の問題の方に集 中するということである. 人物を攻撃しない, 問題点を明確にするなどの方法 を通して, 問題自体に集中しやすい状況を作る技術が紹介されている. 人物だ けではなく, 自分の気分, 好み, 希望, 願望なども脇に置いて, 問題に集中す べきである.
妥協的思考は, ハーバード流交渉術での「パイ戦術」と同じ方向の技術である. 視野狭窄に陥いって二者択一で考えるのではなく, 第三, 第四, 第五の選択肢 を見つけ, あらゆる可能性を尽すことで, 最も妥当な選択を行う. 妥協という のは, 諦めることではない. 柔軟な心で最適を判断することである.
問題解決の結果に対する評価の一つに, オッカムの剃刀がある. 近代科学風に 意訳すれば, 「複数のモデルが現実を同程度に説明できる場合, より単純なモ デルが妥当である」となる.
最小二乗フィッティングに関係する分野で, 赤池情報量基準(AIC)という量が ある. この量は, フィッティングが合うほど小さいが, フィッティング・パラ メータが増えれば大きくなる. この量が小さいほど, もっともらしいモデルだ と言われる. これは, オッカムの剃刀を数値化した例だと捉えることができる.
オッカムの剃刀に似た基準として, ディラックは, 「simple and elegant」を 提唱する. エレガントであるかどうかの判断は主観的であるが, 自分がエレガ ントであると感じるモデルがうまくいく場合は, 意外に多い.
メンタートたちは, ほかの連中が答えを集めるように, 質問を集める. 質問は, それ自体のパターンとシステムを作る.フランク・ハーバード「デューン:砂丘の大聖堂」
前述の戦略で問題を構造化する以前に, 問題の詳細を把握できていないことが ある. そのようなときには, 何を心掛ければよいのだろうか?
私が勧めるのは, 質問を集めることである. 質問に対する答は, 後回しでよい. 適切な質問は, 適切な問題設定を導く.
自分が今, どういうことに引っ掛かっているのか, 明確に言語化するのは, 重 要な作業である. 関連するキーワードを並べるだけでもヒントになるが, 問い の形にする方がよい. どのような質問に対する答が見つかれば, この問題は解 決できるのだろうか? 疑問とすべきことは何か? そういったことが分かれば, 問題は解決されたも同然である.
質問は, 必ず言語化すること. 曖昧な疑問を曖昧な印象で捉え直しても, あま り意味がない. 実際に書こうとしてみると, 自分の把握が如何にぼやけている かがよく分かる.
ここまで, 伝達型文章の書き方を, 様々な形で述べてきた. おおむね, 細い部 分から大きな構成に向けて述べたつもりである. 実際に文章を書くときには, これを逆順に読み返すとよいだろう.
ただし, ここで述べたことは, すべて私見である. しかも, 考えていることを 全部述べたわけでもない. 本稿は, あくまでも入り口に過ぎないのである. こ れを手掛りにして, 自分なりの文章技術を創り出すことを勧める.