ヨブは正義感の強い少年だった。そして、一族の権益を守るには正義を貫き通す のが一番よいと信じるほどに純真であった。
そのヨブが自分の名の出典となった「ヨブ記」という物語を初めて読んだのは、 少年から青年への道を歩み始めた十五歳の春だった。それは、周りから与えられ るものに満足していたヨブが初めて自分から起こした行動であった。そして……。
「こいつはバカだ」
そのときヨブはそう思った。
そこに描かれていたヨブという名の主人公は単なるバカだった。ヨブ少年にはそ うとしか見えなかった。少年の目に写った「ヨブ記」は、バカ正直な男が神にひ どい目に会わされ、それでもバカ正直に神を信仰する物語であった。
少年の心に初めて小さな亀裂が入ったのはこのときである。
少年は自分の名の由来となった人物がただのバカであったことに衝撃を受けた。
そして、それ以上に深刻な衝撃となったのは、少年がその単なるバカと相通ずる 部分があることに気がついたことである。
少年はそれまで、大人達からどんなひどい仕打を受けても決して大人達を恨まな かった。最終的には自分のためになることだと信じていた。少年にとって大人は 神であった。
それでよし。心の一部ではそう思っていた。バカに見えても聖典のヨブは結果と して偉人と称えられているではないか。聖人と祭り上げられているじゃないかと。
しかし、その声は確信に欠けていた。
少年はもう神を信じることができなかった。