午前11時過ぎに墓参りに行ってくる。家から歩いて1分程度の距離だ。 家に帰ってタクシーを呼び、JR西大寺駅に向かう。 11時39分、西大寺駅に到着。 11時38分発の電車に乗り遅れることわずか1分であった。 結局、当初の予定通り、12時19分発の電車に乗る。
JR岡山駅に着いたのは12時40分ごろである。乗り継ぎは特に問題なく、 12時57分発のひかりに乗ることが出来た。予定では次のこだまに乗ることに していたが、どうせ自由席だし、空いてるようだったので、 ひかりに乗ることにしたのだ。新大阪駅に着いたのは14時ごろである。
すぐに大阪駅に行った私は、ここで重大な過ちを犯す。 逆向きの関空特快に乗ってしまったのである。 終点の京橋でそのことに気がついた私は(もっと早く気づけよ)、 ひとまず環状線に乗り換える。天王寺まで出てから考えようと思ったのだ。
鶴舞駅に着こうとしたとき、リュックサックを忘れたことに気がついた。 パスポート、ビザ、チケットなど、必要不可欠なものが入ったリュックである。 関空特快に乗るまでは確かに持っていたはずだ。 駅員に聞いて京橋駅に確認を取ってもらうと、リュックは無事保護されていた。 早速、京橋駅に引き返して、リュックを受け取る。
かなり時間を無駄にした。飛行機は19時出発だから、 17時までにチェック・インしなければならない。果して間に合うのだろうか? どきどきしながら、私は15時24分発の快速に乗った。
結局、関西空港駅に到着したのが16時40分、関西空港でチェック・インを すませたのは16時55分だった。2時間近くの余裕を持って計画を立てたはずが、 ふたを開けてみると5分の余裕しかなかった。 滝のように流れる冷汗を拭いながら、私はほっと一息ついた。
[ここまでの経路を図1に示す。]
やっと落ち着いてきたので、次の関門へ向かう。金属探知機である。
なにも気にせず、まず通ってみる。
「ピー」
引っかかった。財布その他、引っかかりそうなものを置いて、再挑戦。
「ピー」
また引っかかった。係員のねーちゃんがハンディな探知器でチェック。
どうやら、原因はベルトのバックルだったようだ。
次は出国手続きである。列に並んでから、係員がおっさんだということに 気がついた。「ついてない」と思いながら待ってると、 私の5人ぐらい前で、きれいなねーちゃんに替わる。ラッキー!! 順番が回ってきて必要な書類を出すと、 無言であっというまにパスしてしまった。
ロビーに到着。搭乗までしばらく待つ。
予定より3〜40分遅れて、19時00分発UA810への搭乗が19時20分に始まる。 離陸は20時ごろになった。
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飛行機の中は新幹線なんかよりずっとせまい。 私の右隣はあまりきれいではないがそこそこ若いねーちゃんが座ってる。 その向こうの男とアベックのようだ。 左は通路、その向こうに3列席があって、その向こうは窓。 窓は小さいうえにほとんど翼しか見えない。
[この機内の配置を図2に示す。]
ひじかけの機械の説明が全くない。 カット・アン・トライであらかた調べる。
入出国カードやIA-94を配られるが、 ボールペンは預けた荷物の中だった。ショック! となりのアベックが「こんな書類はもう書いたけど、 また書かなきゃいけないのか?」と私に相談してきた。 私に聞くな!!スチュワーデスにでも聞け!! いくらアメリカの航空会社だからといって、 日本語を話せるスチュワーデスぐらいいるんだから。
その後、しばらく彼女とよもやま話が続いたが、 私が特に続ける努力をしなかったので、やがて衰退。
機内では飲みもの(トマトジュースにした)+軽食(ナッツ)、 ディナー(ビーフカレーライスのようなもの)と、適当な間隔で出てきた。 ディナーの飲みものにワインを選んだ私はすっかり落ちついてきた。
ディナーが終ったのは、日本時間で21時ごろ、 サンフランシスコ時間で午前5時ごろだった。 しばらくして寝ようとしたが、暑いは狭いは普段ねてる時間じゃないはで、 なかなか眠れなかった。 となりのねーちゃんもすなおに寝よーとしたり、 彼氏にもたれかかったりしたが(ふん)、どうも落着きが悪いらしく、 持ってきた「らせん」を読んだりしてた。 (ハードカバーの本を持って行くかね?)
結局、うとうとしたり起きたりしてると、飛行機が揺れだした。 「震度4ぐらいかなあ」と思いながら、さらにうとうとする。 気がつくと11時(サンフランシスコ時間)になって、朝食が配られる。
書類を書くために、となりのねーちゃんらにボールペンを借りようとしたが、 彼等も持ってなかった。しかし、彼等は先に書類を書いてたので、 困ってなかった。
こうして、29日20時ごろに関空を出発したUA-810は、 約9時間かけて時をさかのぼり、 29日13時ごろにサンフランシスコ空港に着陸した。
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サンフランシスコ空港に着いて、なんとなく流れに乗っていると、 預けた荷物を受け取る場所に出て来た。 見るとすぐに私の荷物らしき物が出て来たので取りあえず確保してみると、 全然ちがう荷物だった。 するとすぐ近くで「それぼくのです」と言う声が……。まあ、よし!!
しばらく見てると結構時間がかかりそうなので、東洋人の顔をしてる 係員のおっちゃんに日本語でボールペンを貸してくれるように頼む。 おっちゃんは日本語が分かる人ではなかったようだが、 なんとなく意味が通じてしまう。 書類を書きながら荷物を見張ってると、そのうち私の荷物が出て来て、 無事キャッチ。書類を 大体書いて、ボールペンをおっちゃんに返す。
入国審査の列に並んでると、書類がちゃんと書けてるかどうか 事前にチェックして回ってる人(UAの人かな?)がいた。 私の書類には不明な所があったので問いただされたが、 英語が分からないと見てとると、日本語をしゃべる黒人のおばちゃんを 連れてきてくれて、書き加えてくれた。 「こうゆうことは聞かれるかもしれない」というアドバイスもしてくれた。
入国審査は東洋人系の顔をした若いねーちゃんだった。 名前が `Q' で始まってるところを見ると中国人系かもしれない。 パスポートにホッチキスで止めてあった封筒を見て、 「中身はなんですか?」みたいなことを英語で聞かれて、 つい「あいえーぴーろくろくです」と日本語で答えてしまったら、 「おー、すごい」と日本語で返されてしまった。(^_^;)
ねーちゃんは新米らしく、J1ビザの場合の取り扱いが分からなかったので、 近くの審査員のにいちゃんと相談しながら書類を書いていたが、 その間、こっちには質問が来ない。私が答えたのは「あいえぴーろくろくです」 だけだぞ。おい、いいのか?いいんだな?さんきゅう!!
入国審査は終わった。13時10分ごろである。
審査が終わると日本語をしゃべる黒人のおばちゃんが、 またまた登場してきて、出口まで誘導してくれた。 おかげで難なく脱出。
リムジンの運ちゃんが迎えに来てるはずだが、どこを探せばいいのだろうと
きょろきょろしてると、数人のおっちゃんが胸の前に紙を持って立っていた。
近づいてみると、そのうちの一人の持ってる紙に
「こさかさん」というひらがなが……。(その下に Keiji Kosaka と)
[さすが Dr. More。あなどれんな」と思いながら
そのにーちゃん(近づいてみると若かった)に「わてが小坂だす」
という内容の英語をぶつけてみると、何と通じた。
(通じるわい、それくらい)
にーちゃんは私の20kgはあろうかという荷物を キャスターも使わずに運んで、リムジンまで誘導してくれた。 荷物と私を詰み込んで出発。あまりスピード感は無かったが、 スピードメータを見ると、時速70マイルは出てる。時速112kmぐらいか。 回りはなんか丘ばっかりやなあと思ってるうちに約1時間でLLNLに到着。 More先生と秘書のBertie Grosさんが出迎えてくれた。
More先生が取りあえずの宿を探してくれる(BGMは井上陽水)。 これが午後3時ごろ。ひとまずそこで夕食まで時間をつぶすことにする。 この宿は安宿のようだ。ひととおり調べてみると、水が出ない。なぜだ!!
宿屋のにーちゃんがきさくに話しかけてきて、ペプシをくれる。 いろいろ親切ではあるようだ。 でも言ってることの半分も分かってあげられなかった(;_;)。 一度、日本語放送のチャンネルを教えてくれようとしたが、 中国語放送しかなかった。にーちゃんがっかり。 でも、おかげで、チャンネルが腐るほどあるということは分かった。
More先生が5時ごろに迎えに来てくれて夕食に連れてってくれるはずだったが、 来ない。しばらく待ってると、5時半ごろになってやっと来た。 なるほど、そうゆう時間感覚か。
仮の宿からちょっと歩いたところにMore先生が知ってる 日本食のレストラン、「花菱」があった。日本人二人でやってる店のようだ。 この二人を紹介してもらった。
腹一杯食って帰ってくると、7時。 ひまなので、テレビを見ながら「リヴァモア日記」の原稿を進める。 親に電話をかけようとするが失敗、10時半ごろに寝る。
かくして41時間におよぶ長い一日は終った。